今週のメッセージ
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Message
本日の礼拝説教要旨
「洗礼とは何か」 イザヤ42:1-9 マタイ3:1-17 足立 宏 牧師
【これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ】マタイ3章17節
洗礼を願うものの中にイエスがいたことにヨハネは驚きました。そしてイエスのバプテスマ志願に対し、ヨハネは「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはず」(14)と躊躇しました。この時点ではヨハネこそ、イエスの前に立って自分の罪深さを覚え、自分こそバプテスマを受ける必要があると思ったのでしょう。けれどもイエスは、ヨハネからバプテスマを受けることが「今」は「正しいこと」(つまり神の御心にかなうこと)であるとします(15)。この段階はイエスにとって新しい出発の時、人の目から隠れた生活から、救い主としての公生涯への転換点であったのです。またヨハネのバプテスマにイエスが服することによって、ヨハネの働きが神から出たものであることが明らかにされます。しかし最も重要なことは、やがて十字架上で人々の罪を負うイエスであるのですから、公生涯の初めにバプテスマを受け、罪人の立場に立つことがふさわしかったのでしょう。