今週のメッセージ
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Message
本日の礼拝説教要旨
「十字架が語りかけるもの」
詩篇22:1-5 マタイ27:45-56 足立 宏牧師
【わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか】46節
暗やみは、神の直接介入を示すものでしょう。昔イスラエルの民を悩ますエジプトに、神が数々のさばきを行われたとき、イスラエルの人々には、その住むところに光りがあったのに、エジプト人の住むところには、「さわれるほど」の暗黒が襲いました。その神の怒りとさばきを示すしるしとして、時ならぬ暗黒が起こったのです。 この暗やみを象徴するかのように、イエス様の叫びは、霊的な暗黒を注ぎだしています。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わたしの神様、わたしの神様、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)。
この神に捨てられた体験は、弟子の裏切りとか、偽りの裁判とか、ローマ兵による十字架処刑というような、外面的な屈辱と言うことではありません。また肉体的な苦痛を叫んでいるのでもないでしょう。あのゲッセマネのその以来、ご自分の信仰でこの場を選択されてきたイエス様です。
しかも今まで、天の父よと、十字架上でも祈る中で、天の父との交わりで極刑を耐えてこられたのです。
しかしこの場面、全地が暗黒に包まれて、いよいよ御子イエスが、完全に父なる神に捨てられるのです。捨てられるとは、どういうことでしょう。それは、天の父が、御子イエスへのあわれみの父ではなくて、罪と怒りとのろいを注ぐ審判者となったということです。別の言い方をすれば、父なる神がイエス様への味方という立場から、イエス様の敵の立場に移られたと言うことです。
自らは罪を犯さず、本来さばかれるはずのないお方イエス様が、死に渡されて、神からの罰と怒りとを受けなければならないとき。古今東西、アダム以来人間のすべての罪への怒りとのろいを、その身に集中して浴びられたとき、イエス様が味わわれた暗黒は、私たちには想像もつかない途轍もなく恐ろしいものだったでしょう。その主の内面が、この一言に言い尽くされているのです。
*今までのあなたの人生で、拒絶された辛い経験は何かあったでしょうか。その傷をだれがいやしてくださいましたか?